カントで読み解く『春と修羅』序の世界



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[2] カントで読み解く『春と修羅』序の世界

投稿者: 石川朗 投稿日:2013年 8月 4日(日)16時41分21秒 FL1-119-244-192-122.iwa.mesh.ad.jp  通報   返信・引用   編集済


0.カントで読み解く『春と修羅』序の世界 帯文(読者へのメッセージ=解説)

『賢治研究』誌118号に掲載の本論考「カントで読み解く『春と修羅』序の世界」は非凡な論考である。既成の賢治論に些かも負っていない斬新さと核心に満ちている。
 同誌上の「新刊めぐり」に紹介のある『宮澤賢治の深層-宗教からの照射-』(2012年2月刊)ブラット・アブラハム・ジョージ、小松和彦両氏編著は、おそらく最新の賢治論であろうが、両者の比較考量は大いに興味深い。
 論考「カントで読み解く『春と修羅』序の世界」が呈示した論点を箇条書きで示すと次のようになろうか。
1.序詩の第一聯の「現象」の解釈
2.同じく第一聯の「有機交流電燈」、「透明な幽霊の複合体」の解釈
3.全聯にまたがるいわゆる「時空」の解釈

4.同第五聯の「第四次延長」の解釈

5.岩波茂雄あての手紙の意義の解釈
6.森佐一、岩波茂雄あての手紙の「哲学や心理学の・・・」の解釈
 この論考によって『宮澤賢治の深層-宗教からの照射-』の主要な論点の大部分はすでに解消、胡散霧消してしまっているのではないか。著者の秋枝氏をはじめ山根氏、萩原氏らのあれこれの厖大で複雑怪奇な賢治論、もしかしたらその全部は壮大なゴミではないか。対して序詩の全聯を透徹した「カントの哲理」で読み解いた論考は画期的なものであり、今世紀屈指の賢治論であろう。

 全文を以下に掲載してあるので参考とされたい。

(以下本文) カントで読み解く『春と修羅』序の世界

     カントで読み解く
         『春と修羅』序の世界


一、『春と修羅』序をめぐる状況
 『春と修羅』は、大正13年4月に出版された宮沢賢治(当時28才)の詩集である。
 大正10年12月、花巻農学校教師となった賢治は、翌大正11年1月、これまでの短歌の創作から詩作に転じた。冒頭の「屈折率」、「くらかけの雪」を皮切りに、以後の『春と修羅』第二集、第三集の草稿から文語詩稿にいたるまで終生にわたる詩作が続いた。

 この『春と修羅』は、その農学校教師時代の前半の2年間(大正11、12年(26才~27才))の作品を収録している。初めての詩作の高揚感と、妹の死の哀歌という、二面を有する優れた作品群などからなる。
 詩集は四六版で301頁、全体は8章、69篇から構成されている。
 (1)春と修羅      19篇
 (2)真空溶媒       2篇
 (3)小岩井農場     1篇
 (4)グランド電柱    20篇
 (5)東岩手火山     4篇
 (6)無声慟哭       5篇
 (7)オホーツク挽歌   5篇
 (8)風景とオルゴール 13篇
 大正13年1月賢治は、『春と修羅』を出版するために「序」を書いた。序は5聯、57行からなり詩集の詩に比べて抽象的な比喩に富んでいて難解であると言われてきた。それは冒頭の

  わたくしといふ現象は
  假定された有機交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
  風景やみんなといっしょに

 この「わたくしといふ現象は・・・」の「現象」がそもそもの問題なのであった。この「現象」の解釈に躓き「假定された有機交流電燈の・・・」の「有機交流電燈」に躓いてしまっては、透明な幽霊の正体はおろか解読の気力をほとんど失ってしまうのである。
 この「現象」は、カント(1724~1803)が『純粋理性批判』でコペルニクス的転回をなし遂げた「認識論」の重要概念である「現象」なのである。繰り返すがカントの「現象」であることが、重要なのである。(ただの文学的な現象であったり、『宮沢賢治語彙辞典』のフッサールの「現象学」であったりで不分明である。カントの「現象」以外では第5聯へのブリッジ、5聯自体の解釈が難しい)。
 また、次の「假定された有機交流電燈の・・」の「有機交流電燈」は「有機体」、「有機生命体」のことであり、「透明な幽霊の複合体」は「有機生態系の現象」のことだ。カント哲学特有の「現象」と「物自体」という二元論が「透明な幽霊の複合体」という、絶妙な表現となっているのだ。これはカントの第三批判書である『判断力批判』の第2部の「目的論的判断力批判」の「有機体」に関連していることとなる。
 以下に検討する『春と修羅』序の解読には、カントの哲学的な概念を適用しカントの地平における『春と修羅』序の認識と表現の射程を検証する。カントの適用が、序をスムースに読み解けると思うのはひとり私だけであろうか。
 序は従来から数多の解釈がなされてきたが、大別すると次のようにまとめることが出来ると思う。
①高名な詩人や研究者、文学者らの様々な文学的な解釈。さらに賢治の言葉は片言隻語にいたるまで様々なひとに、様々に解釈されている。
 (『春と修羅』研究Ⅰ、Ⅱ』天沢退二郎編、学芸書林、1975年、『検証宮沢賢治の詩』山下聖美、鳥影社、2003年、『宮澤賢治必携』、学燈社 昭和56年)
②大乗仏教の宗教哲学(日蓮宗)による解読
  宗教、仏教またはその哲学を部分的または体系的に適用して解読を図るもの。宗教哲学は形而上学と同様総合的な体系をなしていて、序文を解読する有用な手法のひとつとなっている。なお西洋哲学移入時の翻訳に仏教用語が多用されたことには留意を要する。
 (『宗教詩人宮沢賢治ー大乗仏教にもとづく世界観ー』丹治明義、中公新書、1996年)
③パトグラフィ(天才の病跡学)による解析
 (『宮沢賢治ーこころの軌跡ー』福島章、講談社学術文庫、1985年)
④賢治の序や詩のなかの現象、因果、本体論(実体)、時空(時間、空間)、命題、世界、モナドなどの哲学用語に注目し、その解釈に哲学的な展開を示唆したもの。
 (『〈私〉の思想家宮沢賢治『春と修羅』の心理学』、岩川直樹、花伝社、2000年、『宮沢賢治入門』、佐藤勝治、十字屋書店、1964年、『宮沢賢治の思索と信仰』、小野隆祥、1979年、泰流社)

 

二、賢治とカントの認識と表現
 小野隆祥氏の『宮沢賢治の思索と信仰』によると、賢治は高農時代に大西祝(はじめ)(1864年生れ)の『西洋哲学史』を深く学んだという。その『西洋哲学史』(全文語文、古代ギリシャ哲学からカント・ヘーゲルまで全49章、上下巻、全1,134頁、警醒社書店)の出版は明治29年(1896年、大西祝32才)であるが、これはまさしく賢治の生年である。また賢治が『春と修羅』を出版した大正13年(1924年)はナンと、丁度カント生誕200年でカントの出版ブームの年であった。後述する多くのカント書が記念出版され、また『カント著作集全18巻』(岩波書店)が順次刊行された。『大西祝博士全集』(全7巻)も再版されこの第3,4巻が『西洋哲学史』であった。この大西祝は明治33年惜しくも36才の若さで病没したが、「日本哲学の父」、「日本のカント」と呼ばれている。
 また、同時代の波多野精一(1877年生れ)の『西洋哲学史要』(大日本図書KK)は明治34年(1901年、当時24才)出版され、大西氏の『西洋哲学史』と同様な全文語文、菊判の大きな本で全366頁、当時から研究者に広く読まれ、高く評価されていた。のち角川文庫としても出版され長く読まれ続けた。
 これらの大西、波多野氏の両著は共に、デカルト以降のスピノザ、ライプニッツ、カントなどの近代哲学により多くの頁数を割き、深く読み込めば読み込むほど哲学史でありながら、それぞれの哲学的概念をかなり詳細に把握できる水準となっている。後に言及するカントの「先験的感性論」や「ア・プリオリな総合判断」などは、上段の見出しに項目として掲げられ、ともに両書に講述されている。
 しかし、若き賢治が、すでに出版されて久しいこれらの二書を、読んだかどうかは、「宮沢賢治蔵書目録」に記載がないので明らかではない。なおこの蔵書目録に記載のある厖大な『世界大思想全集』と『大思想エンサイクロペヂア』(ともに春秋社)は、すべて『春と修羅』の発行年よりは後年の昭和初期のものであるが、しかしだからこそ後年、これらの全集を賢治が購入したのだとも考えられる。何れにしろ、この二種の思想書の全集が賢治の蔵書であったということは、尋常なことではない。
 また、『宮澤賢治語彙辞典』の「モナド」の項目には同前の小野隆祥氏が、大西祝の『西洋哲学史』によって賢治がライプニッツを知り、「青森挽歌」ほかにこのライプニッツの「モナド」を愛用したと解説されている。
 ところで、『春と修羅』の詩の書かれた、大正11年には、アインシュタイン(1879~1955)が来日(当時44才)したことは広く知られていて賢治の「四次元」の語釈などで相対性理論の「四次元」として再三指摘されているが、その前年の大正10年(一九二一年)に、バートランド・ラッセル(当時49才)が来日していたことは殆ど知られていない。このアインシュタインの来日は、実はラッセルの、改造社の山本社長への強力な推薦によるのだという。山本実彦(1885~1952年)社長に招かれて来日したラッセルの推薦によって、その翌年にラッセルと親交のあったアインシュタインが来日したのだ。
 ラッセルの来日は、大正10年7月16日、北京から神戸港へ到着。卵色の背広を着ていたという。7月30日まで約2週間日本に滞在した。京都、奈良の史跡を見物する傍ら、京都大学の錚錚たるカント学者らと会合している。当時の京都大学はすでに西田、桑木、和辻、天野らが京都学派を形成していた。
 一方、ラッセルには、ケンブリッジ大学時代の1900年に、28才の若さで出版した、気鋭な大部の『ライプニッツの哲学』(邦訳は細川董、1959年、弘文堂)があった。当然このラッセルの著作とともに、ライプニッツやカントが話題になったことであろう。ましてこの頃ラッセルはあのウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の序文を書いたばかりで、その出版の手配を秘書に委任してきていた。社会学者としてよりは哲学者、数学者がラッセルの本性であったはずである。 7月24日には上京。当時各新聞に大々的に報道されているので、おおかたの知識人には周知のことであっただろう。7月28日には慶応義塾大学の大講堂で3千人の聴衆を前に講演している。7月30日バンクーバーへ向けて横浜港を出港。後のラッセルに『西洋哲学史』という大著(市井三郎訳、1956年、みすず書房)があることもあまり知られていない。
 さて、次章の『春と修羅』序の解読にあたり、あらかじめ、カントと賢治の思考と表現について、若干の展望をしておきたい。まずほとんどすべての賢治作品の何重もの推敲や改稿は、即興的という意味での「心象スケッチ」という手法とは、実作上も明らかな矛盾があろう。他方詩や哲学のみならず思想や概念を言語で記述し、表現することの困難は「そのこと決死のわざなり」であろう。深い思索、知的緊張の高い、精緻な言語表現こそが独創的で非凡な作品、真理としての価値を主張できるものであろう。
 賢治の後年の詩に(昭和2年、31才)「青ぞらのはてのはて」(詩ノート 1074)という未完の詩がある。この小詩においては、賢治の言語と思考と世界とが端的にひとつに結びついている。短詩ではあるが、『春と修羅』序と殆ど同じ発想であり、大小の相似形のように照応している。序の解読に大いに参考になろうと思うので、あらかじめここへ書き記しておこう。

   「青ぞらのはてのはて」

  青ぞらのはてのはて
  水素さえあまりに希薄な気圏の上に
  「わたくしは世界一切である
  世界は移ろう青い夢の影である」
  などこのようなことすらも
  あまりに重くて考えられぬ
  永久で透明な生物の群が棲む

 ところでカントであるが、30才そこそこの若い家庭教師時代のカントに、『天界の一般自然史と理論』の著書があり、次の結語の一節がある。「・・・晴れわたった夜、星しげき空をながめるとき、ひとは、ただ高貴な魂のみが感ずる一種の満足を与えられる。自然の一様な静けさと耳目の安らいのなかに、不滅な精神の隠された認識能力は言いえざる言葉を語り、感受されはするが記述することのできない解きほぐされていない概念を与える」。カントはこの「言いえざる言葉」と「解きほぐされていない概念」に向けての思索を、その後80年の生涯をかけて展開して行くこととなる。
 なおカントは賢治と同様、星にも大いに興味があった。このニュートン力学、空間と物質を研究した論文『天界の一般自然史と理論』が予見した太陽系の起源に関する見解が後に「ラプラス・カント星雲」の発見となった。

 

三、『春と修羅』序の意訳と補注

  序
[第一聯]

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

[意訳]
 カントが「現象の世界」といい、ショーペンハウエルが「世界は私の表象である」としたこの自然的世界。
 有機生命体としてこの世界に生きるわれわれは、あらゆる生物と共に、広大無辺なこの自然界で、それぞれの生態系を形成しています。この生態系は合目的性を有する、無駄のない美しいものです。
 多様な有機生態系の生長のロゴスは、それぞれが自らを形成する力を有し、相互因果に満ちていてせはしくせはしくたしかにともりつづける、複合体としての共生の存在なのです。
(滅びても、その輝きは残るでしょう。)
[補註]
①この序の第一聯、第二聯はいわゆる賢治の時空(時間・空間)のリフレインから構成されている。
  「わたくしといふ現象は・・・」、冒頭のこの宣言はデカルトの「我思うゆえに我あり」に倣った力強い宣言となっている。この「現象」はカントの『純粋理性批判』(当時57才)の「認識論」の「現象」のことである。カントが「空間あるいは時間において直感されるすべてのもの、つまり我々にとって可能的な経験のすべての対象は、「現象」以外のなにものでもない。」と宣言したあの「時空のア(*)・プリオリな形式」の「現象」のことだ。
 (* ア・プリオリ=経験に由来しない、先行的な視点をもつ、普遍妥当性をもつ、以下同じ)
②また、同じく冒頭の「假定された有機交流電燈の・・」 の「有機交流電燈」は「有機体」、「有機生命体」のことであり、カントの第三批判書である『判断力批判』(当時66才)の、第2部の「目的論的判断力批判」の「有機体」に関連していることとなる。
  この『判断力批判』でカントは、自然界の有機生態系のメカニズム、生長のロゴスの解明に、目的論的自然観を導入している。この有機体についての考察が後に『永遠平和のために』の著作として結実したという。

[第二聯]
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

[意訳]
 この詩集は、過去22ヶ月間のわたくしと対象との出会い、わたくしの身に起こったさまざまな出来事の、その時々の思考と経験を書き留めたものです。
 (すべての対象はいつどこでという、ア・プリオリな時間・空間の形式をもち、みんなに共通です。)
 絶えず湧き出す「いま」と言う現象、その明暗のひとくさりづつ、「感性的直感」と「時空のア・プリオリな形式」による「現象」であり、そのとおりのスケッチです。
[補註]
③「時間・空間は主観の性質、ア・プリオリな感性的直感である」、カントが沈黙の十年を懸けて生み出したこの思想が、物自体と思われていた対象が、実は「現象」であるという発見となった。
  「時間と空間が感性の形式」として作用する領域がカントの「現象」なのであり、これのみが、われわれにとって有意味な認識の領域にほかならない。なぜなら認識の内容は、センスデータとして与えられなければならないが、それは常に我々に固有の空間と時間という窓口をとおしてしか与えられないからである。

[第三聯]
これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空氣や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに

 みんなのおのおののなかのすべてですから)

[意訳]
 有機生態系の多様な生命世界、有機体は発生すると、なぜか各有機体にとっての世界が開かれるのだ。その一部は見えるようになる。そしてさらにその一部は言語を学ぶ。 私たちは正しい認識、リアルな認識とは、私たちが本当にあると思っているもの、例えば、緑の木々や光り輝く太陽や、青い空、森のささやきと静けさ。これらは、私たちとは無関係にまずちゃんと実在していて、だから私たちはそれらを見たり聞いたりすることができる、という風に考えています。
 しかしカントは、「外界をそのままの客観として認識できるのではなく、対象がわれわれの認識に従う」という「超越論的対象」の概念によって、経験的認識の客観性を基礎づけ、「超越論的真理」の成立する「経験の地平」という領野を拓いたのでした。
[補註]
④これまでの「認識論」では「真理とは、認識とその対象との合致」、すなわち観念の秩序と事物の秩序との間の一致という理念に基づいていた。この主観と客観との間の調和の理念に、対象への主観的な能力である「現象」の概念を導入して、客観への従属の原理を置き換えてしまったこと、これがカント本人が自ら命名した「コペルニクス的転回」であった。これは「主観‐客観」図式の転換であり、古代ギリシャのプラトン以来の英知、価値観の逆転であった。

[第四聯]
けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
  (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを變らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
 (因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
發見するかもしれません

[意訳]
 ところで、私がこれまで書いてきた童話に見るように私の感性と思考の対象は、もともと自然や人間のみではなかった。よだかやカラス、熊や鹿、自然の風景や木々小さな草花などの、有機体の生命をもつものの一切と言葉を交わすことが出来た。そればかりではない。無機物の石ころや土壌、岩石やその下の地層さえもがわたくしには、かって命あったもの、いまも生命ある者のごとく見えていた。さらに太陽や銀河や星、コスモスさえもが生命体であるかのごとくに見えたのだった。
 『よだかの星』や『烏の北斗七星』、あれらの物語はひとりわたくしだけの、「ア・プリオリな総合判断」に過ぎなかったのか。まさかそんな筈はない。あのトランクいっぱいのイーハトヴのほんとうの物語は、世界の真理の論料として、確かにこのわたくしが書き記したものだった。
 デカルトによって中世のスコラを脱し、明晰さを取り戻した理性の力。「ひとそれぞれ」、私たちのだれもがもつ、この主観という場所は、近代になって人間が手に入れた、自分で考えるための大切な足場だ。このとき人間は「わたくし」から「世界」を考える力を獲得した。これは人間にとって、古代ギリシャのプロメテウスの火に次ぐ2000年来の、第二の火の獲得と言っていい。
 斯くして、単なる純粋悟性や純粋理性からする物の認識は、すべて単なる仮象にほかならず真理は経験のうちに存する。真理は体系のうちに存するのではなく経験のうちに対象との出会いによって得られるものであり、認識にとって、感性的契機がぜひとも必要なのである。
 この度、新進の士のこの小論が、膨大な賢治論料のなかで、小さな発見の足跡になればと願うばかりです。
[補註]
⑤「ア・プリオリな総合判断」、これこそカント哲学の主導概念なのである。学問的真理や科学的命題はこの「ア・プリオリな総合判断」とされる。
  カントによるとあらゆる認識は判断の形をとる。判断は主語と述語で構成され、二種類に分類される。
1).すでに主語概念に含まれている概念を述語としてもつ判断を「分析判断」という。この種の判断が「分析的」 と呼ばれるのは、主語概念を分析すると、述語がおのずと出てくるからである。たとえば、「物体は広がりをもつ」という判断の場合、「広がり」という述語は「物体」という主語概念の定義の中にすでに含まれており、従って「物体」を分析すれば「広がり」はその中に見いだされうる。
2).それに対して、もともと主語概念には含まれない述語を、主語概念と結びつける判断があり、それを「総合判断」という。これが「総合」と呼ばれるのは、互いに含意しあわない二つの異なった概念を結びつけるからである。たとえば、「海は青い」という判断の場合「青」は「水」や「塩分」その他の概念とちがって「海」という概念に本質的に含まれているわけではなく、この概念の外から取ってこられたものであるから、それは総合的である。
  「海は青い」が意味ある命題として成りたっているのは、「海」に「青」を正当に結びつけることを保証する直感の助けによる。この命題にかぎらず、一般に有意味な命題はそれに対応する直感によって裏づけられる。理性の誤謬や仮象、二律背反によって、それぞれの主張が無意味で空虚な、しかも自己矛盾する結果に陥るのは煎じつめれば、判断の有意味性を保証する直感、経験という契機を欠いていたからにほかならない。その意味では、総合判断が「総合的」と呼ばれるのは、右に述べたように単に主語に含まれていない概念を主語と総合するからというにとどまらず、より積極的には、概念と直感の総合を実現するから、ということができるであろう。

[第五聯]
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
      大正十三年一月廿日  宮澤賢治

[意訳]
 すべての命題は、感性的直感と時空のア・プリオリな「現象」として、私の理性が的確に認識、処理し、四次元連続体という相貌の図式をもって主張されます。
[補註]
⑥我々にとって世界とは、外的には自然であり、内的には人間、心である。そしてまた世界とは、我々それぞれが、運命という芝居を演ずる舞台でもある。
  最後にもう一度、賢治とカントの「世界」を確認しておこう。前述の賢治の「青ぞらのはてのはて」の世界(当 時31才)と次の「カントの世界」(当時57才)とはどう違うのだろうか。哲学とは徹頭徹尾、自分で考え抜くものなのである。
 「世界は「所与」ではない。世界は経験を拡張し、事象をさかのぼるそのつど生起する。経験が生起するたび に、境界として生成する。世界とは「課題」である。世界はそのときどき、いまだ規定されていないものとして、 経験の地平であるにとどまる。世界という地平を欠いては経験そのことが不可能であるが、地平としての世界は、一切の可能な経験を超えている。経験はそれが世界に関わるものである限り、世界そのものを地平として前提している。世界それ自体についてはその直接的で全体的な経験はけっしてありえない。世界とは経験を超えた、経験自身の地平である」。
  賢治は上記のカントの哲学を、序を書く時に既に知っていたのではないか。詩とは哲学と同様、言語によって世界の相貌を一変させることなのだ。

 

四、佐藤勝治、小野隆祥両氏に対するアフォリズム風批判
 前述の佐藤勝治氏も、小野隆祥氏も『春と修羅』序に大変な拘りがあった。研究者や著述家が『春と修羅』の冒頭の序詩の、哲学的で深遠な長詩に最大の関心を払うことは当然のことであろう。盛岡市立図書館の郷土関係図書室の宮沢賢治コーナーは、6段の書棚が壁の2面にまたがって、一千冊を超える蔵書を要している。この書棚の中を、丹念に「春と修羅・序」関連の文献を探してみると驚くほど少ない。20にも満たないのである。殆どの賢治本は臆面もなく、この「春と修羅・序」を素通りしているのである。その20ほどの序詩の解釈も千差万別、スタンダードといったものはなく、なにかたどたどしい有様なのである。
 本章ではまず佐藤、小野両氏の「春と修羅・序」を吟味した後、賢治とカントの接点を求めて拙論を展開する。そこでは従来の通論には極力触れず、私見を展開するので新知見であると承知を願いたい。
 まず佐藤氏は『宮沢賢治入門』の自序のなかで「本書では全く触れていない、自然科学者としての賢治、哲学者としての賢治など、未開拓の分野に進まれる研究者の多く出ることを望んでやまない」。とし、第二章の「宮沢賢治の信仰」の章で「これから『序詩』の解説、つまり賢治の世界観を述べていきます」と記した後、「この序詩は、哲学的に区分して、前段十行が本体論(形而上学)、後段が認識論であると見られます。たぶん作者もそのつもりだったろうと思われます。」とし、法華経思想を背景とした丁寧な語句の解説の後に、「『春と修羅の序』大意」の章で、詩の長短の原文に相応した、平明で清澄な読み下し文の解釈で纏められている。この佐藤氏の解釈は草野心平氏などにもそのまま受け継がれているものであるという。しかし前段十行の本体論についても、後段の認識論についても具体的な吟味は一切なく、ただひとりショウペンハウエルの名前がでてくるのみで、『意志と表象の世界』を敷衍して、「賢治式に言うならば、「世界はわが心象なり」であります。」としている。そして「あとがき」には、「小野隆祥氏に『春と修羅』序詩の、小野流の解説を頼んだところ、・・・、掲載予定で書いてもらったものであったが、紙数の関係でそれができない・・・。」とされている。まことに呆気ないさっぱりとしたものである。
 他方、その小野氏の『宮沢賢治の思索と信仰』は殆ど全編が文献解釈の体をなしている。第一部冒頭3行目で、「天台宗」を『岩波哲学辞典』で検索し島地大等について解説しているが、次々と挙げる文献の中からなんとか賢治の哲学思想を探そうした文献学であり、文献の執拗な追求、解釈である。なおこの『岩波哲学辞典』はこの小野氏の本書に三度登場し、最後に本論のキーワードのひとつをなすことになるので記憶願いたい。第一部の「宮沢賢治の信仰」で賢治の国柱会入信までを記述しその末尾に、第二部「宮沢賢治の思索‐修羅の自覚と刹那滅の克服‐」に進むにあたって、「第二部は賢治の修羅概念を追求する。私はできるだけ、賢治の意識の内面に入り込んで、彼の思索をその問題意識に添うて、追体験したい。いうなれば、賢治の意識を論理的に再構成し、展開させてみることが課題である。・・・。そのため賢治の信仰を、教義的に明確にとらえることではなくて、むしろ彼の「哲学」を追求するのが目標となる。」とし、本書の小野氏の強靱な姿勢のその一端を垣間見ることが出来る。
 そして「「春と修羅」序詩の構成」」の前部に、「賢治の思索年譜」という興味深い一節が置かれている。明治44年(賢治が中学3年、15歳)から大正13年(28歳、農学校教師、4月『春と修羅』を自費出版)までの13年間の、賢治が繙読した図書名と簡単な生活史が3頁余にわたって記されている。この重要な時期における賢治についての小野氏の考察の纏めである。この一連におけるつぶさな論究・解釈は序詩の書かれたさらに後の『銀河鉄道の夜』にまで及ぶものとなっている。そしていよいよ次節の「「春と修羅」序詩の構成」」の直前で、またもそれを次のように纏めている。
 「序詩では信仰と思想とは、論証されたのではなく、幻想されたにとどまっていることが明らかだ。要するにこの序詩は賢治の世界観(信仰と思索)の凝集であり、展開であると捉えただけでは、真相を逸するにいたると思う。私自身数年来、ここに世界観の展開を捉えようとして、幾度もの失敗を繰り返してきた。賢治の序詩に先立つ体験と感情とを抜きにして哲学的解釈を専らにした結果としての失敗であった。哲学だけでなく賢治の血も涙も夢も、その意味で全人格が結集しているのを知らなければならない。そしてそれが賢治の思想史と生活史の大きな分水嶺になっているのを見るべきである」。エエエ・・・、冗談ではない。「・・・幻想されたにとどまっている。」幻想であったと言うのか、何を言っているのだろうか、馬鹿な!!。
 以上を踏まえた「「春と修羅」序詩の構成」」の解説は、またもリストアップした文献を駆使して展開され、序詩の各聯ごとの語句の解釈とその大意だけが解かれて、可成りの頁を費やしている。しかし最後まで佐藤氏のような冷静な読み下しの文章はない、いや書けないのだ。これでは序詩としての『春と修羅』序の解釈をなしていないし、もはや示唆に富む見解が見られない。ベルクソン、ジェームスからフッサール、ミンコフスキーからアインシュタインなどのそれぞれが、五聯の解釈の各部分に各様に嵌め込まれ、その範囲で都合良く展開されているに過ぎない。読み手は息が詰まってしまう。ついでに付け加えておくとこれらの名前のリストは最近の賢治論に至るも変わらない。メルロ・ポンティが加わっている程度だ。さすがにこの序の哲学臭は西洋風で過度の宗教臭を持ち込むのは無理である。
 序詩にはいつ読んでもひとつ突き抜けた透明感、屈託のなさがあると思うのだがどうだろうか。私は、冒頭でも述べたごとく『春と修羅』の序詩は、カントに関係しているのだと思う。第一聯の冒頭の「現象」と「有機体」というカント哲学の象徴的な語句から、直感的にカントの三批判書が閃いた。この「現象」はカントの『純粋理性批判』の「現象」であり、「有機体・・・」は『判断力批判』の有機生命体の合目的生態の世界のことだ。続く第2聯のいわゆる賢治の「心象スケッチ」は明らかに時空の直観的な世界、時空論である。カントの『純粋理性批判』の「先験的感性論」の世界である。さらに第3聯は第一聯の原初的な有機生態系に、精神性が加味されたより具体的な生命世界の様相である。ここから第四聯の透きとおるような賢治思想と見事な言語世界への展開へと至る。なかんずく第五聯の「次元」の世界への一気のジャンプは、カントが展開した「先験的図式論」なのである。第一聯から第五聯までカントで十分なのであり、カント以外では、一貫した一元的な解釈は不可能なのではないか。
 時空を駆け抜け、現象を超越し、因果を突き抜けた賢治の思考空間、あの「青ぞらのはてのはて」へと到達した賢治の世界、そこは思考の深淵であり、言語の限界であった。賢治が『春と修羅』の詩作によって確立し、達成した確固たる思考空間は独自の次元に達し、賢治独特の詩的表現を生みだし、類例のない詩的地平を拓いたのだった。
 こうした賢治の透徹した論理的な思考が洞察した普遍的なもの、価値の世界、存在の世界は、やがて当然のごとく賢治をして当為の世界、実践の世界へと駆り立てゆくこととなった。同様にカントもまた『純粋理性批判』の上梓からほどなくして、道徳に関する『実践理性批判』を著すこととなったのだった。
 だが賢治はカントについては一言も語っていない。浩瀚な賢治研究文献にも今日に至るまでカントと賢治の交錯を論じたものは見あたらない。しかし再度繰り返すが「宮沢賢治蔵書目録」にはあの厖大な『世界大思想全集』と『大思想エンサイクロペヂア』(ともに春秋社)があった。しかしこれらの全集はすべて『春と修羅』の発行年よりは後年の昭和初期のものである。しかしだからこそ後年、これらの全集を賢治が購入したのだとも考えられる。何れにしろ、この二種の思想書の全集が賢治の蔵書であったということは、尋常なことではないのである。

 

五、米田利昭氏の『宮沢賢治の手紙』の「岩波茂雄あて」の批判的吟味
 第二章でも言及したようにこの大正時代、ことにも『春と修羅』出版の大正13年(1924年)はカント生誕200年でカントの出版ブームの年であった。「岩波茂雄あての手紙」もこういう背景があって書かれているのである。
 さて『春と修羅』序の解読のキーワードとして、いつも引き合いに出される2通の賢治の書簡がある。一通は①森佐一あての書簡(大正14年2月9日)であり、二通目は②岩波書店の岩波茂雄あての書簡(大正14年12月20日)である。それぞれの書簡は次のようである。(部分)
①「・・・前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。私はあの無謀な「春と修羅」に於て、序文の考を主張し、歴史や宗教の位置を全く変換しようと企画し、それを基骨としたさまざまの生活を発表して、誰かに見て貰ひたいと、愚かにも考へたのです。・・・」。
②「・・・わたくしは岩手県の農学校の教師をして居りますが六、七年前から歴史や論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした。・・・。わたくしはあとで勉強するときの仕度にとそれぞれの心もちをそのとほり科学的に記載して置きました。その一部分をわたくしは柄にもなく昨年の春本にしたのです。心象スケッチ春と修羅とか何とか題して、関根といふ店から自費で 出しました。・・・。辻潤氏、佐藤惣之助氏は全く未知の人たちでしたが新聞や雑誌でほめてくれました。そして本は四百ばかり売れたのかどうなったのかよくわかりません。二百ばかりはたのんで返してもらひました。それは手許に全部あります。わたくしは渇いたやうに勉強したいのです。貪るやうに読みたいのです。もしもあの田舎くさい売れないわたくしの本とあなたがお出しになる哲学や心理学の立派な著述とを幾冊でも取り換え下さいますならわたくしの感謝は申しあげられません。わたくしの方は二、四円(註 二円四十銭)定価ですが一冊八十銭で沢山です。あなたの方のは勿論定価でかまひません。・・・」。
 米田利昭氏の『宮沢賢治の手紙』によると、②の文中の「六七年前から歴史や論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについて・・・」の歴史は空間とともに「時空」ではないだろうかと言っているのとともに、①の「歴史や宗教の位置を全く変換しようと企画し・・・」と合わせて、これを「全く新しい時空論を構築するためのデータとしてこしらえたものだ」という。これは慧眼である。この全く新しい時空論こそ、賢治の「心象スケッチ」なのだ。さらにその前段の「六、七年前から」については、小野隆祥氏が強く執着し、推察しているように賢治が大西祝の『西洋哲学史』をすでに「高農時代から読んでいた」(六、七年前から)ことと照応するのではないか。
 また②の岩波茂雄あての手紙は、岩波書店の哲学、心理学の本と自身の『春と修羅』(定価2円40銭を80銭に値引きしてまで)とを交換して欲しいという、突拍子もない依頼なのである。この賢治の意図は一体何なのだろうか。おそらく内心、自分の『春と修羅』の詩集の序詩がカントの哲学を深く敷衍したものであることの自負心が滾っていて仕方がなかったのだ。詩集を読んで誉めてくれた辻潤氏、佐藤惣之助氏らやほかの誰からも、賢治にとっては肝心の序詩については反応がなかった。そこで専らカントで売り出し中の天下の岩波に、岩波茂雄に「どうだ!、岩波書店は、岩波茂雄は、俺のカントが判るか!!・・・」というつもりだったのだろうか。
 当時岩波書店は既に述べたように、カント生誕二百年記念に向けてすでに大正11年10月に『岩波哲學辭典』(定価18円、1200余頁、県立図書館に初版増訂版の蔵書あり)を出版していた。そればかりではなく、「カント著作集」(全18巻)というカント全集の出版に取りかかっており、第1巻の天野貞祐著『カント純粋理性批判』(上巻)が出版されていた。大正2年に創業したと言う岩波書店は、大正6年には日本で初めてのカント書である、桑木厳翼の『カントと現代の哲学』を出版しているし、この大正13年には田邉元の『カントの目的論』(大正13年10月、これは『判断力批判』の注釈書であり、あの自然界の有機体の合目的性を論じている書である。)も生誕二百年記念出版と序文に付記されて出版されている。(米田利昭氏の『宮沢賢治の手紙』のなかにある同じ田邉元『数理哲学研究』は大正14年の出版である)。
 なおこの『岩波哲學辭典』の哲学部門の執筆者の中にこの田邉元氏がおり、また認識論も同氏が単独分担執筆しているのであるが、小野氏は自著の後記でこの田邉元氏を恩師と呼びながら『岩波哲學辭典』についても『カントの目的論』にもなんらのコメントもないことを付記しておく。
また「哲学や心理学の立派な著述・・・」については、カントの時代の哲学の本道は論理学で、カントが切り開いたような認識論や心理、精神分野は旧来は心理学と呼ばれる部門であった。その残滓が当時の西洋にも日本のカント哲学書にも尾を引いていて、カントの認識論の論述の中に心理学という用語が頻出するのである。そういう哲学書を読んだ賢治がそれを一口に「哲学や心理学」と言っているのに違いない。賢治が実際にそういう哲学書を読んでいた証左であろう。今も図書館の書棚の配列が哲学の次に心理学の本が並んでいることをご存知だろうか。文芸書ばかりの読者には無用で、全くご存知ないことかも知れない。
 ところで米田氏の『宮沢賢治の手紙』の「岩波茂雄あて」の解説の後半は全く杜撰なものである。これでは天下の「岩波」の面目は丸潰れであろう。『岩波哲學辭典』を出版している岩波の出版界における主導性を米田氏は微塵もご存知ないのだ。米田氏の岩波書店についてのこの記述が、そのまま事実と誤認されては、日本の出版界に全くカントの登場のしようがないし、これでは賢治の序詩の哲学的研究は全く進展しえないわけだ。
 それを補完するものとして、当時の岩波書店発行のカント書を定価も付して列挙しておこう。
 大正 6年11月  桑木厳翼『カントと現代の哲学』定価3 円20銭
 大正10年 2月  天野貞祐『カント純粋理性批判』(上巻) カント著作集第1巻、定価4円、下巻は昭和6年
 大正10年6月  村岡省吾郎『知識の問題ーカント認識論の解釈ー』定価1円20銭
 大正11年10月 宮本和吉ほか『岩波哲學辭典』定価18円
 大正13年10月 田邉元『カントの目的論』定価1円80銭
 その他このカント生誕200年記念の出版物は著明なものが多く、第一章で紹介した大西祝の『西洋哲学史』(大正14年再版)や波多野精一氏の『西洋哲学史要』(大正10年再版)、さらに尚文堂や他社の、松永材の『カントの哲学』(大正12年11月、菊判、1200頁)や『カントの道徳哲学』(大正13年6月)、大関増次郎の『カント研究』(大正13年、大同館書店)そのほか二、三にとどまらないのである。賢治はこの頃の東京在住時代に図書館に足繁く通っている。当然新刊のこれらの哲学書は眼にしていたはずである。
 最後に、ごく最近佐藤勝治氏の「農民芸術概論綱要」に関する資料を知った。昭和61年10月の『森鷗外記念会通信』に掲載されている「鷗外と宮沢賢治」である。うっとりとするような名文であり、賢治の生の一面も垣間見えていて、興味深いので左記に引用したい。

  鷗外と宮沢賢治
   一、
 賢治は鷗外については一言も語っていない。しかしその作風上深い影響を受けていた事実は、その作品の呼吸の上に表れている。初期そして唯一の短篇(断片?)小説「疑獄元凶」の手法にも明らかである。最も注目すべきは、かの有名な「農民芸術概論綱要」の構成と芸術理論が全く鷗外の「審美綱領」に依っている点である。もっとも鷗外の原書ハルトマンの美学そのままではない。賢治のそれは強烈な宗教性(法華経理念)を帯びている。「審美綱領」の皮袋に宗教の美酒を入れたのである。
 ○世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。
 ○新たな時代は世界が一つの意識になり生物となる方向にある。
 ○まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう。
 これら人口に膾炙した箴言は、すべて上求菩提(求道心)の芸術的表現にほかならない。しかしこれらの美しい肉付けにもかかわらず根幹は鷗外の「審美綱領」である。(註明治32年春陽堂発行)
 以下紙数の関係もあって、読者にその材料(証拠)を提示するにとどめる。
   二、
 「農民芸術概論綱要」の中でもっとも鷗外の影響の濃厚に認められるのは次の二章である。・・・。
 その一・農民芸術の分野
 準志は多く香味と触を伴へり
 声語が準志に基づけば 演説 論文 教説をなす

 などこの綱領原文の7項目に「準志」という語句のあることを挙げ、「右の文中「準志」の意味が長らく賢治研究者を悩ませた。私は偶然にも初版鷗外全集第一巻(明治書院)にこれを発見し、公表した。(昭和27年)。これにより以後賢治の「綱領」理解は急速に発展したのであった。「準志」とは鷗外の造語で(鷗外のほか使われなかった)「目的」や「用」をもつ美だと定義している。・・・」。と記している。「準志」を鷗外に発見した佐藤氏も偉いが、賢治を直接知る佐藤氏の冒頭の賢治観も興味深い。賢治もなかなか容易には「虎の巻」について口を割ることはなかったようだ。矢っ張り私のカントもズバリとは出てこないわけだ。
 ところでこの鷗外に『かのやうに』という短編小説があって、良心的なカントの哲学書に屡々紹介されている。『かのやうにの哲学』は、ウィーンのカント文献学者だったハンス・ファイヒンガーが出版したカントの専門的な哲学書であったが、鷗外がこれを入手してすぐにそれをネタに短編小説に仕上げたものだった。明治45年1月の『中央公論』に発表された。カントの「物自体と現象」という二元性を、あたかも「かのように」の仮構主義とする見方で、文中にカント、ヘッケル、ニーチェの名前やプラグマチズムなどの哲学用語も出てくる。後に(大正3年4月)連作4編とともに単行本『かのやうに』として発行されインテリゲンチアに愛読された。
 もしこの鷗外の『かのやうに』も『審美綱領』とともに、佐藤氏が一見していたら、『春と修羅』序の解釈も今日とは一変していたかも知れないと思うのである。   (了)

 

http://blogs.yahoo.co.jp/waisima67/archive/2011/10/11




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投稿者: teacup.運営 投稿日:2013年 7月31日(水)18時57分31秒 FL1-119-244-192-122.iwa.mesh.ad.jp  通報   返信・引用

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